ジブリ 『千と千尋の神隠し』コミュニケーション能力のつけ方 軽〜くネタバレ有

前日火垂るの墓が地上波でオンエアされ、twitterからSNS系のHOTワードが火垂るの墓だらけでしたね。
まぁ普通に見ててセツコの具合が悪化する進行や、観ていて背中が汗疹なのか?など栄養失調での死亡でないことはわかる感じであって。
本当の理由が知りたい方は検索ですぐ出ますので、ここでこの話は省略ww

私的に千と千尋の神隠しが一番好きだったりします。
他の作品も素敵なのですが。
モチーフとされているのが「遊郭に身を売られた少女」

昔検索して知ったことなのでうろ覚え説明になってしまうのですが、
・何にも興味のない女の子。(冒頭部分の千尋がそんな感じですよね)
・親の借金のせいでしぶしぶ嫌な気分で落ち込みながら働く(親が豚になっててんぱる→油婆場に仕事を貰う)
・初めての恋をする、仕事意欲の進歩
ハクの助言「ここでは生きていくために働かなくてはならない」やハクに背中を押される(仕事に気合いが入りだす)
・色んな人と接する中で、人間関係の大事さを覚える(働き始めて、仲間が出来て性格がポジティブに変わってきてます)
・人への思いやりを覚える
八百万の神々でみんなが嫌がる対応も死にもの狂いでやりこなし、カオナシのようなわからないものにも優しくなっている。

人間関係の大事な部分を身に着けていく姿が自分とかぶる気がするのかもしれません。
現代の子の、やる気が起きないのを現している最初の千尋。(ここも被るww)
それをコミックのような「友情努力勝利」な簡単な言葉で現さないでの教え。

コミュニケーション能力ってこういう積み重ね、出会いによって変えられるもので、参考書やセミナーでは決して身につかないことだと経験から思います。

それからキラキラネームが流行っていますが、名前の大事さを書かれた方がいまして、これから名づける時にこれを思って名づけるべきだと思いました。
一部引用しますが、是非全文読んで頂くとわかると思います。
【短評】『千と千尋の神隠し』〜唯識論から見た"名付け"の行為

唯識論が定義する"名付け"とは、無意識の中にある自分を、
意識の外に取り出し、認識する事を意味するもので、
つまりそれは自分を"象徴"するものでなければならないのでしょう。
「名は体を表す」の言葉は、こうした背景を持っています。
世の中にはDQN(キラキラ)ネームと呼ばれる名前があります。
唯識論の観点から言えば、人から認識されない名前というのは、
"身口意"の「体」を初めから成していない、
親の自我が勝ったものだという事になるのでしょうが、
千と千尋』は、"名付け"の大切さも投げかけている気がします。

千と千尋の神隠し (通常版) [DVD]

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曲だと「あの夏へ」が大好きです♪特にDAISHI DANCEのremixは最高ですよ♪

ジブリremix